戸塚ヨットスクール事件の被害者 小川君は非行ではなかった!校長の判決が軽い?

5月12日放送の「爆報!THE フライデー」は体罰によって子供を更生させる施設「戸塚ヨットスクール」に1日密着。謎の共同生活に迫る。

 

校長の戸塚宏氏は、登校拒否や非行などの問題を抱えた子供をヨットスクールにおいて訓練を受けさせ、立ち直らせる施設「戸塚ヨットスクール」を1976年11月に開校。

 

結果、何百人もの生徒が更生してスクールを卒業しているが、行き過ぎた指導により3名の生徒が犠牲になり、2名の生徒の行方が分からなくなる事件が1979年~1982年にかけて発生した。

 

いわゆるこれが世間でいうところの「戸塚ヨットスクール事件」である。

 

大半の生徒が登校拒否や家庭内暴力、非行などでスクールに入ってくるのだが、被害者の一人、小川君は両親が強い精神力と丈夫な身体を持つ子どもとなることを期待して、入校させたのであって非行や登校拒否が理由で入ってきたのではなかった。

 

だが、行き過ぎた体罰によって8日後には帰らぬ人に。この小川くん事件で戸塚校長は逮捕され、裁判で懲役6年の実刑判決が下されている。

 

結局、世間は事件が起きるまでは、スクールの方針に肯定する人も存在したが、事故があってからは手のひらを返したように殆どの人が否定派に変わってしまった。

 

そして刑務所に収監されていた戸塚校長は、2006年に出所。現在も「戸塚ヨットスクール」の現場に復帰し、生徒の指導にあたっている。


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戸塚ヨットスクール事件の被害者 小川君は非行ではなかった

今のご時世、体罰はすぐに問題になるが、一昔前は体罰なんて当たり前の時代だった。しかし、戸塚ヨットスクールの校長で、過去の指導中に生徒が犠牲になったことで非難を浴びた戸塚宏氏は、出所後の現在も体罰肯定論者だという。

 

そして今も、戸塚ヨットスクールは存在しており、戸塚校長もこれまで同様、生徒の指導にあたっているようだが、生徒の数はたったの数名。

 

昔の戸塚ヨットスクールでは女性もいて、100人もの訓練生を預かっていた時代もあり、中学生ぐらいが中心だったが、今はいちばん下が高校生で、いちばん上は40歳代だとか。

 

やはり、昔の事件があったからか、入校してくる数がぐんと減っているようだ。

 

それでも入ってくるのは、精神科やフリースクールなどに行っても何ともならなくて、最後の手段として入ってくるのだという。

 

結局、その頃には、40歳とか50歳になってるため、中年層でも入校してくるのだそうだ。

 

また、戸塚ヨットスクールでは2011年から、3歳~12歳までの幼児を対象に一週間前後の合宿「戸塚ジュニアヨットスクール」をほぼ毎月、開催している。

 

戸塚校長いわく、「結局、教育は幼児からやらんと手遅れなんだということがようわかった。幼児のときにきっちりやれば、あとは自分で自分を伸ばすことができる」と話す。

 

そして、現在も体罰は肯定している戸塚校長だが、その方針は事件が起きてからというもの社会問題に発展。

 

1979年~1982年に3名の生徒が亡くなり、2名の生徒が行方不明になった「戸塚ヨットスクール事件」は、スクールの方針に肯定していた人の殆どが否定派に変わってしまった。

 

この事件で戸塚校長およびコーチらは逮捕され有罪判決を受けた。 逮捕の要因は行き過ぎた体罰なのだが、戸塚校長の逮捕は、被害者の一人である小川君事件が決め手となった。

 

被害者の小川君は当時、中学1年生の13歳。ほかの生徒と違って登校拒否や非行ではない普通の子供で、両親がヨットの操縦や苦手な水泳が上達し、体力にも自信がつくのではないかと考えるようになり、入校を希望した生徒。

 

体罰が嫌で脱走する生徒がいたりする中、小川君は必死に絶え続けた結果、あってはならないことになってしまったのである。


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戸塚ヨットスクール事件 校長の判決が軽い?

戸塚ヨットスクール事件では、戸塚校長と数名のコーチが逮捕された。

 

名古屋地方裁判所の一審で戸塚校長には懲役3年執行猶予3年(求刑は懲役10年)の判決が下され、それぞれのコーチには懲役10カ月~2年6カ月という内容で、同じく執行猶予が付いた。

 

この判決の軽さに、世間が反発。抗議の集会が開かれるまでに発展したのである。

 

また、この判決を不服とし、検察側と戸塚、コーチら双方が控訴。二審では一審判決を破棄し、戸塚校長に懲役6年、コーチらにも実刑の判決を下した。

 

結局、最高裁までもつれるのだが、結果二審判決を支持して、戸塚校長の懲役6年とコーチ陣らの有罪が確定。

 

戸塚校長の裁判をほとんど全部傍聴したという小川君の母親は、「戸塚は出所後も、私たちに詫びの一つもなかったし、もちろん焼香しにくることもありませんでした。戸塚が考えを改めない限り、また新たな犠牲者が出ると思っていました」と語っている。


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