山崎晃嗣の日記と遺書の内容は?生い立ちがヤバい!壮絶な結末とは?

9月23日放送の「爆報!THE フライデー」
は1948年、東大生らによる闇金融起業が
法律違反によって警察に検挙された「光クラ
ブ事件」の謎を追う。

 

事件の主犯は現役東大生の山崎晃嗣。天才的
な頭脳を使い、金融会社を設立。会社は大成
功を収めるが、その後、物価統制令違反で
京橋警察に逮捕される。

 

山崎の逮捕により、光クラブは顧客の信用を
失って業績は悪化。莫大な借金を背負うこと
になった山崎は駄じゃれを書き散らした遺書
を残して服毒自殺した。そしてそのわずか
数日後、山崎の株は大暴落したのであった。

 

その後、2007年になり、光クラブ設立前
の山崎の日記が発見されたという。光クラブ
を設立してからの日記は死後に明らかになっ
ているが、見つかったのはそれ以前の1年半
余の分だとか。

 

今回は東大在学中、26歳という若さで闇金
融「光クラブ」を設立した山崎晃嗣の生い立
ちや事件の結末などについて迫っていこうと
思う。


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山崎晃嗣の日記と遺書の内容は?

戦後間もない日本で天才的な頭脳を使って
才能を発揮しながら1年で破たんし、死を選
んだ学生実業家、山崎晃嗣は1948年に
金融会社「光クラブ」を設立。

 

その際、高金利の配当を約束して出資者を
募集し、中小企業などに金を貸し付けて会社
を発展。結果、光クラブは半年間で中野から
銀座に進出し、資本金600万円、株主
400名、従業員30名の会社にまで成長
した。

 

だが1949年7月、山崎が物価統制令違反
で逮捕される。これが原因で出資者らの信用
を失い、業績が急激に悪化。その後、名称の
み変更してさらに資金を集めようと図るも
失敗。

 

株の空売りで最後の資金調達を試みるがこれ
にも失敗し、11月24日、約3000万円
の債務を遂行できなくなった山崎は、債務
返済の前日、本社の一室で青酸カリを
あおり、遺書を残して服毒自殺した。

 

山崎が残した遺書に書かれていたのは以下の
通り。

1、「御注意、検視前に死體(体)に手をふれ
ぬこと。法の規定するところなれば、京橋警
察署にただちに通知し、検視後、法に基き
解剖すべし。死因は毒物。青酸カリ(と称し
入手したるものなれど、渡したる者が本當
(当)のことをいったかどうかは確かめられ
し)。

 

死體はモルモットと共に焼却すべし。灰と骨
は肥料として農家に賣(売)却すること(そこ
から生えた木が金のなる木か、金を吸う木な
ら結構)

 

2、望みつつ心やすけし散る紅葉理知の生命
のしるしありけり

 

3、出資者諸兄へ、陰徳あれば陽報あり、
隠匿なければ死亡あり。お疑いあればアブハ
チとらずの無謀かな。高利貸冷たいものと聞
きしかど死体さわればナル……氷カシ(貸─
自殺して仮死にあらざる証依而如件 よって
くだんのごとし)。

 

4、貸借法すべて青酸カリ自殺。晃嗣。午後
一一時四八分五五秒呑む、午後一一時四九分
……(ここからは判読不可能)

 

また、当時山崎がつけていた日記の最後には、
次のように記されていた。

 

・私の合理主義からは、契約は完全履行を
強制されていると解すべきだ。・・・・・・
契約は人間と人間との間を拘束するもので、
死人という物体には適用されぬ。私は事情
変更の原則を適用するために死ぬ。私は物体
にかえることによって理論的統一をまっとう
する。


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山崎晃嗣の生い立ち

山崎晃嗣の生い立ちだが、山崎はエリート
家系で生まれ育っている。父親の山崎直は、
千葉県木更津市生まれで第一高等学校(現・
東京大学教養学部)から京都帝国大学医学部
を卒業した医学博士で、のちに木更津市長に
もなった人物。

 

母親の夫沙子は上野の音楽学校(現・東京芸
術大学)出身。山崎晃嗣は1923年10月、
5人兄弟の末弟として生まれた。

 

山崎は第一高等学校から東京大学法学部に
進むが、戦争中は学徒兵として軍隊入り。

 

そこでは隊長や参謀が、軍務そっちのけで米
や油などを横流ししていたという。戦争の敗
戦時には、山崎もそれにならって地位を利用
して軍事物資の横流しをして検挙される。
さらに上官をかばうかたちで懲役1年半、
執行猶予3年の実刑判決を受けている。

 

この一件は山崎の人生観に影を落とすことに
なり、釈放されて家に戻った山崎は日記に
「人間の性は本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾
である」など、上官への恨みや、投獄時のこ
となどを綴っていた。

 

また、2007年になり山崎の日記が発見さ
れるが、日記は、大学ノート3冊に記された
もの。

 

1946年3月24日に、「楽しいから生き
てゐる。楽しみがなくなり苦しみが生じたら
死ぬばかりである。生命などといふものは要
するにつまらないものである」と書き出して
いるが、これは3年後の自分の運命を暗示す
るかのような文章となった。

山崎晃嗣の光クラブ事件 壮絶な結末とは?

あのライブドア事件と似ていると言われる
「光クラブ事件」。山崎は自分の頭の良さを
客観的に確認するため、1万5000円を
元手に金貸し業「光クラブ」を設立した。

 

山崎は1万5000円の資金全部を新聞広告
に使い周囲の目を引く画期的な広告を打ち、
『年中無休!天下の光クラブ、弊社は精密な
科学的経済機関で日本唯一の金融株式会社』、
『遊金利殖、月一割保証』などの文句で
多額の資金調達に成功。

 

月1割3分の高配当で集め、利子は2割1分
〜3割という高利で、商店や中小企業に貸付
けるという仕組みだった。

 

山崎の試みは当たり、会社は大成功を収める
が、その後、物価統制令違反で京橋警察に
逮捕され、業績が急激に悪化。390人余り
の債権者からの約3000万円の債権取り立
てに直面し、行き詰まってしまう。

 

その後、支払い期限が迫っていたが、約30
00万円のうち、とりあえず300万円を
返済する約束が債権者委員会との間で取り交
わされていたといい、期限を延期することも
可能であったが、山崎は敢えてそれをしな
かったという。

 

そして債務返済の前日、結末を迎えることに。
山崎は本社の一室で青酸カリをあおり、遺書
と残高2700円の銀行通帳を残して服毒
自殺した。


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