高橋真梨子が病気で激やせ!母親との確執 父親の言葉が歌の原点!

1月6日放送の「金スマ」は、歌手・高橋
真梨子(67)の波瀾万丈人生にスポット
をあてる。

 

戦後の広島で一人娘として生まれた高橋の
孤独な幼少期…。父親が病気で亡くなっ
たり、母親とは確執が生まれるなどした壮絶
な生い立ち。

 

唯一の支えは歌だったが、47歳の時に
重度の更年期障害で激やせ。それでも旦那と
二人で一緒に病気を乗り越えていこうと
する姿。例え極限状態になっても歌い続け
ようとした。

 

現在は、音楽活動も再開できるまでに回復
した高橋、今回の「金スマ」では、今は歌
わない幻の歌詞をスタジオで披露する。


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高橋真梨子が病気で激やせ

高橋真梨子の旦那は、音楽プロデューサー
兼ギタリスト、キーボーディストの
ヘンリー広瀬氏(73)。妻の高橋真梨子を
プロデュースした代表曲には「桃色吐息」
「はがゆい唇」「ごめんね…」などが
ある。

 

二人はひょんなことをきっかけに恋仲にな
り、約10年の同棲生活を経て、1993
年に結婚。だが、それから3年後、高橋が
47歳の時、突然コンサートの最中に歌え
なくなる。

 

その後もめまい、手足のしびれに襲われ、
外にも出られなくなってしまったという。
それは重度の更年期障害だった。

 

当時、高橋は「仕事が生きがいでしたので
…仕事ができなくなるんじゃないか、
激やせして生きていけなくなるんじゃない
か…」と苦しんだそうだ。

 

旦那のヘンリー氏も、「夫婦で一緒にいて、
初めて、助けを求められた。」と語る。

 

旦那として、二人で病気を一緒に乗り越え
ていこう、と思い、医者のアドバイスで
太陽を浴びた方がいいと言われ、自転車を
2台買って引きこもりがちだった高橋を外に
連れ出したり、家事ができなくなってしま
った高橋のために栄養たっぷりで食べやす
い料理を工夫したりした。

 

病気で激やせし、”ぼんやりとふさぎ込む
姿”が心配で、一時も離れられなかったと
いう。

 

「うつになって食事を作れなくなったのが
一番つらかった。ヘンリーさんが美味しい
って言って食べてくれるのが嬉しかったか
ら」と、当時のつらかった出来事を話す
高橋。

 

そうして半年間の完全休業ののち、音楽
活動も再開できるまでに病気は回復。

 

今改めて、夫の支えに感謝しながら「本当
に、幸せで、ラッキーだったと思いました」
と打ち明ける。


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高橋真梨子 母親との確執 父親の言葉が歌の原点

高橋真梨子は、高校1年までを福岡で暮ら
していたとか。生まれは広島で、一人娘と
して育てられた高橋。父親は、ジャズバン
ドでサックス奏者として活動するミュージ
シャンだった。

 

高橋が1歳半のころ、当時ジャズが盛んだ
った博多へと家族で移り住むことになる。

 

しかしその数年後、父親が難病に侵され、
両足を切断することに。父親は脱疽の影響
で後遺症に苦しんでいた。

 

すると、これ以上迷惑はかけられないと
1人広島に帰ってしまった父親。その後、
高橋が小学校3年の時、両親が離婚。
親権は裁判で争われたが、両足を失っている
父親は高橋を引き取ることもできなかった。

 

大好きだった父親には、年に数回広島まで
会いに行っていたという高橋。

 

その時父親は、歌手になることについて
「いいんじゃないか」と言われたとか。
ただし、「ポップスとかアイドル的な歌手
は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲。

 

スタンダードジャズとか、名曲みたいなもの
から始めた方がいい」とアドバイスされたと
いう。

 

それが、その後の高橋の音楽活動の原点と
なった。高橋が15歳の時に、父親が37
歳で他界。16歳で、歌手になるために
上京することになる。

 

一方で、母親との思い出について、いい思
い出はあんまりなかったとか。子供時代に
母親が不倫。いつも一人ぼっちだったそう
だ。

 

母親は父親が病気に苦しんでいるにも関わ
らず、ずっと、妻子ある男性との恋愛に
夢中だったとか。孤独の中で支えになった
のは、音楽で、「恋のバカンス」が流行して
いたザ・ピーナッツに憧れ、中学生で
「歌手になりたい」と思ったという。

 

両親が離婚した際、母親と2人福岡で暮ら
した高橋真梨子は、不倫していた母親の
そのことだけは許せずに確執が生まれたが、
女手ひとつで育ててくれた母の気持ちは
わかると、その相対する気持ちに苦しんだ。

 

そんな高橋には、コンサートで福岡を訪れ
たときに必ず立ち寄る場所があるという。
その場所は地元のイタリア料理店で、母親
が長年通い続けたお気に入りの店なのだ
とか。

 

コンサートの後、母親はいつも高橋と旦那
のヘンリー広瀬をこの店に招いていたとの
こと。

 

その頃には、とっくに確執は解消していた
が、1998年12月31日、母親は69歳
で亡くなったという。


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